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親にしかできない幸せ英才教育「旬教育」のススメ

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早期教育は必要か?


世間で言われている「早期教育」とは、一般的に、「3歳までに脳が急速に発達する」という大脳生理学の立場から、幼児に文字や数などの知的なことを習得させる事を、さしています。

それに対して、
「子どもの教育は、あわてず焦らず行うべきだ。」
と、そういう教育方法に反対する立場の方も数多くおられます。
早期教育は、子どもの発達をかえって妨げるというのが、この立場の方々のご意見です。

私は、乳幼児期には、乳幼児期に適した教育というものが、やはり必要なのではないかと考えています。
しかし、ちょっと違うのは、前述のような、ごく一般的な知的な事だけを「詰め込む」、「教えこむ」という方法は、乳幼児期にふさわしい早期教育とはいえないと思っています。

私の考える早期教育は、
人間の基本である心、からだ、生活訓練という名の教育と、同等のレベルで、知的な事にも触れたり、たくさんの言葉を耳にしたりする「経験」をさせてあげようという主旨なのです。「教育」というものを、日常生活や育児の一環として捉えるという考え方をします。
「経験」が先にあり、結果として、時としてそれが世間では「知的」と言われている事だったという、あくまで、主軸にあるのは「経験」であり、子ども自身が興味を持っていることです。
そして、この「経験」は、どんな事でもよいのです。

良い事も、いけない事も両方経験する事で、よい事をすれば、他人を喜ばせる事ができるという事が、幼い子どもにもわかります。
それは、自分自身の喜びにもつながりますし、人間の器を大きくします。

逆に悪い事をして、痛い目に会う、叱られる、等の失敗を経験する。
その失敗を次にどう生かすかを、自分で考えてみる。
それは工夫する力、そしてどんな困難にも立ち向かっていける強い精神を作ります。

失敗を重ねて、人間は成長するし、賢くなると言ってもいいのではないかと思います。
親から見て意義のある事と、子どもにとって意義のある事は、違う場合が多いものですが、そもそも、
幼い子どもにとって、意義のない事などひとつもないのです。
すべてが大きな意味を持っていて、それらを体験することによって、真の成長をしていくのではないかと考えます。


乳幼児期というのは、そういう様々な経験をしながら 子どもの可能性を大きく育てていく時期、そして、学ぶことの楽しさ、その姿勢を作って行く時期ではないでしょうか。
これは親が主導権を握り、「ついておいで」とするのではなく、あくまで子どもが主体となる事が大切と考えます。
早期教育をされている方の多くが、「親の願望を、子どもに押し付けている」というケースを眼にすることがあり、気の毒に思います。

のびる時期だからこそ、ご自身のおこさんを、よく観察してください。
何が好きか、何に興味を持っているかがわかると思います。
次に、適した環境を作り、よい刺激を与え、発達を促してあげたいものです。

また、幼児期だからこそ、体と心を健康に育てる事は、それ以上に大切な事です。
早期教育そのものに反対されている多くの方も、ただやみくもに「反対」とおっしゃっている訳ではなく、生活訓練や体験、躾を後回しにして、知的教育のみを最重視する事や、子どもがまだ興味を持たないのに、無理やり知的な事を「教え込む」事が反対なのであって、子どもが自ら文字や数に興味を持っている、その時にでさえ、教えるべきでないというご意見ではないと思います。

子どもを産んだ瞬間から、親は子どもを育てるという貴重で幸せな使命を授かります。
「子育て」とは、ただ食べさせ、世話をして成人させればいいというものではありません。
また、一方で、ただの「いい子」「お勉強の出来る子」を育てることでもありません。

私の考え方は、現在の早期教育界でご支持を得られておられる方からご覧になられると
「甘い。」
と言われるかもしれません。
「机上の取組み(ペーパーをこなしていく事)は大切だ。」
そう言われるかもしれません。

確かに、小学校を受験しようとする場合など、実物を使った体験と同時に、それが「白黒の絵」でしか表現されないペーパーに慣れさせる、出題形式に慣れさせるというテクニックは、必要になってくるでしょう。

実際若鷹も、設問の内容が分かれば容易に解ける問題が、問題文をそのまま棒読みで読み上げた場合には、何を問うているのか理解できないでいる事もありましたので、受験のために、ペーパーをこなす必要性を、私は完全に否定するつもりはありません。
そういう設問が理解できる読解力が必要だというご意見もあるでしょう。

しかし、このペーパーの設問の仕方というのは、大人から見ても、少々不自然な設問の仕方であったり、もっと分かりやすく設問すればいいものを、あえてひねったり、堅苦しい言い方で問うたりする事も事実です。
加えて、その内容は、小学校で学ぶことを先取りしている感もあります。

この日本中の子どもたちの中で、一体、どれだけのおこさんが小学校受験の「テクニック」を必要とするのでしょう。
また、実際、テクニックがなくとも、家庭の教育方針や、一人一人の発達をじっくり見て合否を決めて下さる学校も、少ないですが、ちゃんとあるのです。


大人になれば、人に話しをする時には、「聞いている人が分かりやすいように説明する」という事が大切になります。
商談も、相手に理解してもらわなければ、成立しません。
そういう時にこそ、あらゆる語彙が必要になってきます。

個人的に、日本語や古文のもつ言葉の美しさ、文語的な響き等は、分かりにくい言葉ではあっても、日本人として、いつの時期であっても、触れる事は大切だと思いますが、果たして、試験の設問を就学前の幼児に対して、そんなに理解しにくくする必要があるのでしょうか。

基本的に、早期教育は、どんな方法であっても、語りかけや読み聞かせから始まり、それは語彙を増やす事を目的とします。
幼児期に接する必要がある語彙とは何でしょうか。
分かりにくい設問を理解するテクニックを子どもに教える時間があるなら、私なら、その時間を少しでも多くの絵本や詩、語りかけなどの優しい美しい言葉に我が子を触れさせてあげたいと思います。

結局、親の役割というのは、子どもが成人するまでに、いかに上手に親離れさせ、自立した一人の人間に育てるかという事ではないでしょうか。
私達は、手塩にかけた子どもが、親から上手に離れて行けるような、知恵や方法を伝えていくという、なんともけなげな大仕事を任されたという事なのです。

それらは一朝一夕に作られるものではなく、親が乳幼児期から成人するまで続けてきた、子どもへの働きかけ、つまりは「教育」の「結果」なのです。

ですから、私は「教育の成果」というものが出るのは、その子が成人してからと考えます。
一年二年先の、目先の利益やできるできないにこだわっていては、親子関係も、友人関係も歪んできてしまいます。

物事に対する好奇心を育てる事、出会う困難に打ち勝っていく発想力、そして将来ひとりで暮らした時に、きちんと生活が出来る、生活訓練等。
これらは、大きくなってから、いきなり身につくものではありません。

知育偏重・詰め込みなどではない、「乳幼児期に適した教育」であれば、私は「早期教育」を通して得られるものが、たくさんあるのではないかと考えています。